人類の話題

日々のニュース、事件、話題にコメントを付けて行きます。インターネット、食べ物、スポーツ、文化など、ジャンルは問いません。

電線地中化、世田谷ナンバー、サンタの存在、そして個人情報バラ撒きなど

スポンサーリンク

電線地中化後も電柱撤去されず

ボクは阪神大震災で兵庫県宝塚市で被災しました。多くの建物がめちゃくちゃに倒壊しているのはもちろん、とにかく電柱がことごとく道路を塞ぐように倒れてしまって、クルマでの移動がほぼ不可能だったんですよね。

 

アップライト筐体デザインの小型ゲーム機が販売中、実売1,400円

1400円って安すぎませんか?

 

Tim Cook曰く、Apple Watchは毎日の充電が必要となる

消費電力ってどれくらいなんでしょう。例えば、腕を振ったり歩いたりすることで起こる振動による発電ができれば、薄さよりも重宝されると思うんですが、現時点ではまだ、そういうテクノロジーは実現できないんでしょうか。

 

最大1Gbpsの4G通信向け周波数、大手3キャリアが名乗り

プラチナバンドは700〜900MHzで、この電波はよく曲がるので屋内の奥まで届くんですよね。でも今回の4Gは3.5GHz(3500MHz)。これってどうなんですか?素人考えですが、ものすごく届きにくい感じがしますが。

 

財源のはっきりしない政策議論は、そもそもおかしいと思うんだよね

例えば先日、橋下大阪市長が表明した文楽協会への現行法式の補助金打ち切り。補助金打ち切りの目的はもちろん「いじめ」ではありません。単に財源の問題です。そりゃ可能なら、いろんな文化を残すのは大切です。でもおカネが無いんだから仕方が無い。何でもかんでも補助すると破綻して、結局全部が共倒れ。そうならないように打ち切るところは打ち切る。財源をはっきりさせるとはそういうことです。

 

「世田谷ナンバーは不利益」 住民が区長ら提訴

何かを提訴するのは国民の権利なので自由にやればいいと思いますが、さすがに世田谷ナンバーによってプライバシーが侵害されることは無いので、さすがにこの提訴内容では勝てそうもないですねえ。それにしても世田谷区議の田中優子さん、「ブランド力のある品川ナンバー」って発言は問題ありません?世田谷区議なのに世田谷区に誇りは無いんでしょうか。世田谷ナンバーのブランド力を上げるのが区議の仕事じゃないんですかねえ。

 

小学6年生「サンタはいるの?」→回答が素敵すぎると俺の中で話題に

サンタという、人間が創造した存在は大人になれば空想の存在であることに気づくのに、同じく、幽霊という、人間が創造した存在は大人になっても信じている人が多い現実。変なの。ボクも何か新しいモノを創造してみようかな。数百年後の人々にはそれが実在すると信じられているかも。

 

「こちら911のオペレーターです」 女性「ピザを頼みたいのですが・・・」 → 悪戯に思えたこの通報が意外な結末に

ボクはいつも、物事も人間も外面ではなく中身で判断するのが大切と言い続けています。今回の事例もそうですね。911にピザの宅配を注文したからといって、それだけでイタズラだと判断すると事件は解決しませんでした。表面で考えず、「なぜ、そういう電話を掛けてきたのか」という思考をすることが大切なんですよね。これは人間の日常生活によくあることです。言ったことをそのまま受け取って、悪いと断定するのではなく、なぜそれを言ったのかと考える必要があります。

 

Tカード「11月1日から個人情報バラ撒くよ。イヤなら個人情報提供停止の手続きしてね」

個人情報を提供したら何でもかんでも悪、と決めつけるのは間違い。大切なのは透明性です。事前に顧客に確認を取ればいいんです。悪いのは無断で行うこと。例えば事前に顧客の了承を得て個人情報を提供することで、より良いサービスに結びつくのなら顧客にとってもメリットがあります。もちろんイヤな人は拒否すればいい。個人情報の提供はすべて悪だと決めつけてしまうと、かえってデメリットも生まれます。個人情報が開示できないために病院にお見舞いにも行けないという変な事例もありますしね。

 

原発難民“見殺し政策”が着々と進行中 原発事故も自己責任!?

政府ってのは何のために存在するか。それは所得分配の適正化です。放っておけば格差社会になるので、おカネ持ちから高い税金を取って貧しい人に分配することで格差を減らすんです。たまたま、事故や災害などで大きな損害を受けた人を救済するのも、それと同じことです。もし自己責任を追求してしまえば、例えばクルマに轢かれるのも道を歩いていた人の自己責任、犯罪に巻き込まれるのも、他人と交流した自己責任、とキリが無くなってしまいます。そうなると、もはや政府なんて不要なんですよね。自己責任を声高に謳うということは、政府が自分の存在を否定しているのと同じです。